日日是好日から学ぶ「ゼロ」の自分

読書記録
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映画化もされた森下典子さんの著書「日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」

とても印象に残る部分や共感できる部分が多くありました。今回はその中から1つのお話を取り上げて自分の思いや経験も踏まえて感じたことを書いていこうと思います。

親の勧めで茶道教室に通い始めた著者。2回目のお稽古でお点前の基本である薄茶点前を教わりました。一つ一つの形、作法はとても細かく、順番もきっちりと決まっており、先生が15分ほどでやったお点前に1時間以上もかかってしまいました。一通り教わった後、先生から「もう1回」やってみなさいと言われた時に何もできませんでした。何をどう持つか、どこに座れば良いのか。何一つとして覚えてなかったのです。その時著者は、「気持ちを入れかえて出直さなくてはいけないと心から思った。」と本書に綴っております。

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何も知らない自分

何かを習うときは相手には何も知らない自分を開く必要があります。習うものに対して何も知識がないし何もできない。その前提に立つ必要があります。そのためにはプライドなんてものは邪魔でしかないのです。

ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。

日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

つまらないプライドなど、邪魔なお荷物でしかないのだ。荷物を捨て、からっぽになることだ。からっぽにならなければ、何も入ってこない。

日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

どんなことも熟練した人、高い技術を身に付けた人がやるから簡単に見えるだけなのです。

例えば、野球のピッチャーを見ているとマウンドからホームまでの18.44mを投げるのは簡単そうに見えてしまいます。しかしこれがとても難しいのです。あの距離を140キロ、150キロで投げるのは至難の業です。

しかもストライクゾーンに投げなければならない。時には変化球を投げることもある。実際はとても難しいのです。しかし、その人たちも時間をかけてじっくりと教わって18.44mを投げれるようになったしコントロールできるようになったのです。

最初は何もできない自分を相手に晒し、何もできない自分とも向き合い、プライドも捨て、からっぽな状態にすることで教わるすべてを受け入れることができるのです。

自分も相手の前に「ゼロ」の自分を開くということを専門学校時代に経験しました。それによって本書に共感できたのでここからは専門学校時代のエピソードを紹介していきます。

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大失敗からはじまったお灸の授業

鍼灸学校に入学してお灸の授業のお話です。その日は初めてお灸の据え方を教わりました。艾を手に取り、親指と人差し指で捻り、円錐状に形作っていきます。ある程度形ができたら反対の手で艾をちぎり、据えたい場所へと置く。火のついた線香で艾に火をつけて燃やしていく。

先生のお手本を見た時はとても簡単そうに見えました。いざ自分でやってみるとなんとびっくりするほど難しい。全然上手くできませんでした。艾を捻るところはもちろんできたのですがそこから先が全くできませんでした。形が上手く作れなかったり据えたい場所に艾を置こうとしても上手く立たずに倒れてしまったり。

艾は米粒くらいの大きさで据えていくのが基本です。しかしながらその大きさでは上手く艾を立てることができませんでした。そのため形を大きくしたのですがそれではとても熱いお灸になってしまうのです。艾に火をつけるところまでたどり着くことがなかなかできませんでした。

ようやく上手く形を作り、据えたい場所に艾を置くことができました。火をつけるのはさすがにできるだろうと思っていました。しかし、ここでも大苦戦。いざ火をつけようとすると艾と線香がひっついてしまったのです。業界用語でこのことを提灯すると言うのですが、何度も提灯をしました。結局この日の授業ではまともに据えることのできたお灸は1壮もありませんでした。

「ゼロ」の自分を受け入れる

クラスメイトにはスムーズに何層も綺麗に据える人も多くいました。あんなにも簡単にできる人がいるのになぜ自分にできないのか。あまりにも自分が不器用すぎると感じ、とても落ち込みました。

もう一生こんなレベルなのか、ここから上手くなれる未来が見えませんでした。もういっそのことお灸をしない鍼灸師になろうか。鍼灸学校入学約1ヶ月でそんな境地に辿り着いてしまいました。

こうやって文字、言葉に起こしてみるとあまりにも情けなく見えてくる。とてつもなく恥ずかしいし劣等感さえも感じてきます。

これが「ゼロ」の自分ということなんだと思います。

出来ない自分を受け入れ、何もできない自分を素直にさらけ出す。ものを習うというのはここからのスタートなんだと思います。変なプライドや自惚れがあったら絶対に教わることは出来ません。すべてをからっぽにしてようやく教わる姿勢が出来上がるのです。

この授業を機に「ゼロ」の自分を受け入れ、先生から教えを請い、自分でもたくさん練習しました。鍼灸師を目指す以上は卓越したお灸を身に付けたいものです。自分でもいろんなやり方を試し、自分の中での正解、不正解を見つけていくことができました。

何も知らないということを知っておく

いつしかスムーズにお灸を据えることが出来るようになりました。さらに、真剣に向き合ったことでお灸のこともとても好きになりました。定期的にある実技試験もしっかりとクリアし、鍼灸師の資格を取れたということはある程度のレベルでお灸の技術も身に付いたということでしょう。

すべての始まりは「ゼロ」の自分を開くところから。自分自身の経験からもそう感じました。

私は、何も知らないのだ・・・・・・

日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

これから先も新しい何かを教わったり習ったりすることになると思います。知っているふりやできるふりをすることは必要ありません。「ゼロ」の自分を開き、からっぽな状態を作って取り組んでいきたいものです。

日日是好日(にちにちこれこうじつ) 「お茶」がおしえてくれた15のしあわせ [ 森下 典子 ]

価格:1650円
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24歳の鍼灸師
学生時代ケガに苦しんだ部活動生活を送ったことがきっかけで鍼灸師を目指す
専門学校入学直後は成績下位ながらもコロナ自粛期間をきっかけに成績が急上昇。国試本番では正答率8割越えで合格。グループ院に就職も2年で退職し現在は訪問鍼灸師として働きながら学生時代の思い出や現在地をブログ記事として更新中。将来は鍼灸院の開業を目指している

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