いしかわゆきさんの著書「書く習慣」に影響され1ヶ月書くチャレンジを始めて今日で27日目。本日のテーマは「誰かに言われた大切な言葉」
真面目であることは必ず評価される。高校時代の部活の監督がくれた言葉だ。
自分の成長の場とした高校の部活
高校時代はハンドボール部に入っていた。正直なところ中学ではケガによって途中で部活を辞めた自分がわざわざ高校の運動部なんて厳しい場所に身を置く必要はなかった。身体能力も知れてる。野球をしていた中学時代は肩、手首、膝、腰と計4度のケガを経験した末に退部。高校で運動部に入るとなればいつどんなケガをしてもおかしくないくらい身体はボロボロだった。それでも高校で運動部を選んだ理由は自分の成長のためだ。
3年間控えでも胸を張って終われたワケ
みなさんの想像通り高校の3年間は控えで終わった。最上級生になるまではベンチにすら入ることが出来なかった。それも総体は3年間で1度も勝てなかったチームでのこの立ち回りだ。どれだけハンドボールが下手だったことか。技術も無い、身体も痛いところばかり、何が出来るかというと真面目に練習に取り組むしかなかった。
1年生の時は度々体調を崩したりして練習を休むことがあったが2年生になってから最後引退するまでは1度も練習を休むことも遅刻することもなかった。チーム内でインフルエンザが流行ろうと、定期テストで周りの部員が赤点による補習で部活に出られない部員が出ようと自分はグラウンドに立ち続けた。先生が出張でいない日も、とても身体のコンディションが悪い日も全力でプレーし続けた。それでも最後は控えで終わったし試合に出ることは出来なかった。しかしながら最後は胸を張ってやりきったと言える3年間だったことは間違いない。
見てくれる人は必ずいる
最後のミーティングで監督が1人ずつにメッセージを送ってくれた。その時に誰よりも真面目に練習に取り組んでいた。真面目であることはこれから先も必ず評価されるから貫き続けてほしい。とメッセージをくださった。
真面目なこと以外取り柄の無い人生を歩んできたと言っても過言ではない。周りには面白い人もいれば頭が良い人、カッコいい人。いろんな取り柄を持つ人がいた。そんな中で真面目であることは何か霞むなと自分の中で感じていた。部活にしても勉強にしても目の前のことに対して一生懸命取り組むことは当たり前だと思っていたし、端から見ればやっていること自体は同じに見えると思っていた。それでもこうやって評価してくれた人、見てくれていた人がいたことを絶対に忘れてはならない。
社会人になってからより強く感じること
真面目という言葉はいろんな言葉に言い換えることができる。一生懸命、全力、誠実などなど。こういう行動ができる人であり続けたい。
鍼灸師になってからはそれをより強く感じた。1年目の先生が10年目や15年目の先生と同じ場所で治療する。技術では絶対に上回ることができない。それでも患者さんから必要と思ってもらえる存在になるには。患者さんの症状を少しでも良くするために全力を尽くすことだ。一生懸命に誠実に患者さんと向き合うことが第一歩だ。その先は自ずと見えてくる。
誰かの目を盗んで手を抜いたり、軽率な行動をしたりすると自分が自分では無くなってしまうと思う。そしてこんなに大切な言葉をくださった高校時代の監督を裏切ることになる。そんなことは絶対にしたくはない。今日も明日もその先も誰よりも真面目に生き続けたい